2XXX年、日本の文章から漢字が全て消えた。
文章はひらがなとカタカナのみで記載される事になった。
なぜこうなったのか、すべては[配慮]だった。
始めは、漢字が読めない人々への配慮を騒いだ人権団体の動きからだった。その動きにまず新聞社が動き、記事がからどんどん漢字が消えていった。
その動きにその他企業も[配慮]の名のもとに次々と便乗していき漢字を目にする機会は減っていった。
「ちゃんと勉強すればいい話」
「大多数の人は読めるのに、なぜそこまで配慮しなくてはならないんだ。」
という意見もあったが、それら意見は少数派の尊重の名のもとに頃如く無視された。逆に、それら反対派は「配慮が出来ない」人とレッテル張りされるようになってしまった。
そして、最後に残った漢数字が消えたのを最後に、日本から漢字が消えてしまった。
しかし、文章を書く手間、読む手間は大幅に上がり多くの知識層などは英語圏などに離れていく事になり、日本の技術及び経済の競争力は更に失われていく事になってゆく…。
![[オカルト]日本語から漢字が無くなり、ひらがなとカタカナしか無くなる日。](https://static.wixstatic.com/media/77b2ee_7bd1593318a547eda814ce0d1c4bb182~mv2.jpg/v1/fill/w_980,h_693,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/77b2ee_7bd1593318a547eda814ce0d1c4bb182~mv2.jpg)
~あとがき~
少数派の意見も大事というのは昨今言われている事ではありますが、果たしてそれが許されるのはどの辺り、そしていつまでなのでしょう?
少数派ばかり尊重し、大多数の人が大なり小なり不利益が続く未来があるのであれば、いずれ不満が爆発し多数派の[数の力]によって今まで積み上げてきた少数派の立場がつぶされる未来もあるでしょう。
平時ならその爆発も中々無いでしょうが、不況などで経済的な不安が大きくなった時、赤の他人の少数派に自分が不利益を被ってでも配慮する余裕が果たしてあるでしょうか。
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