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執筆者の写真t-saeki

『反対』という意見・行動は『賛成』よりも責任が伴うと思う

ネットやテレビなんかの世論調査で

「〇〇についてどう思いますか?」という調査があったりします。

その中で賛成や反対の意見が出て来るのですが、これを見るたびに筆者は思うのです。


「質問された人のうち、どれだけの人が質問された事柄について勉強した事がありちゃんと理解している人がいるのだろうか」と。


例えば、とある政策があったとします。

その政策についてテレビなどの一方的に流れて来る情報だけでなく自発的に書籍やネットで調べて

・なぜその政策が必要なのか

・その政策で何が変わるのか

・その政策でどのような人が恩恵を受けるのか、またどれほどの恩恵があるのか

・逆にその政策でどのような人に不利益(不利になるのか)を被るのか

・じゃあ自分にはどのような影響があるのか

をちゃんと理解して賛成か反対か意見を述べている人がどれだけいるのでしょう。


そして、賛成反対の中で反対の行動をする場合にはよりその物事に関する知識が必要だと思うのです。

何故なら反対という物はその物事の邪魔をする行動だからです。

賛成、もしくはどちらでもないは素通りさせる物だけですが反対だけでは違うのです。


物事の重要度によっては救えた命も救えなくなる可能性があります。それなのに何も知らずに邪魔してその責任を負えますか?




大抵の知らない物事という物は怖い物です。だからこそ大抵の物事は反対意見が多くなります。

しかしちゃんと知識を得て詳しくなれば逆に多くのプラスの価値、つまり魅力を見つけられる事だってあるのです。


例えば目の前にヘビがいたとしましょう。

興味が無い人にとってはヘビという物は怖い物です。噛まれるかもしれない、もしかしたら毒を持っているかもしれません。


しかし、ヘビに詳しければ目の前にいるヘビの種類、毒の有無、取り扱い方法が分かります。

そしてそのヘビの価値、魅力も知れるようになります。

『よく分からない』というマイナスのモヤを消し去ってプラスの価値を見出す事が出来るのです。




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